【企画】覆面小説家になろう〜雨〜
No.08 Early summer rain

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感じ取れるのは山林から香る瑞々しい緑と、木々に茂る葉に跳ねては落とす雨音だけだった。
 僕は気まぐれな五月雨が弱まるまで動かなかった。自転車も捨てて、歩いて山頂までいった。山頂に着く頃には、五月雨はまた強くなっていて、ケンジもそこにはいなかった。
 山頂はとても開けていて、晴れていれば町を見下ろせる。でも今は何も見えず。僕はただ町が恋しくなった。その町を見下ろせる山頂に、ケンジがふもとで話していた腕時計だけが落ちていた。僕はそれを拾い、デジタルディスプレイを覗いてみる。時間は完全に停止していた。太陽からのエネルギー供給を完全に失ったのだ。だからケンジは捨てた。この気まぐれな五月雨に遮られて、心を奪われてしまった僕のように。
 僕は降りしきる五月雨の中を、ゆっくりと歩いて下山した。



                        *              



 僕は自転車を何とか前に進めながら、さらに山頂を目指した。四年前、下山した僕は町へ戻り、うんざりした仕組みに組み込まれた。でもケンジはいつまでも戻らず、町はケンジを行方不明にし、そして殺した。
 違う、確かにケンジは仕組みから解放を求めた。それが『死』だと昔の僕も思った。でもあの時、ケンジが五月雨の壁越しに見せていたのは、絶対に悲哀な表情ではなかったはずだ。笑顔だったはずなのだ。
 だからケンジは死んだんじゃない。先に行ったのだ。そして僕を待っている。
 僕は最後の力を振り絞って山頂までたどり着いた。五月雨が降りしきる中、僕はもう一度ケンジの残していった腕時計に目をやった。ケンジの止まった時計の時刻と僕の時計の時刻が丁度一致した。
 気まぐれな五月雨は少しだけ力を弱め、緑色の空を割り、太陽の光を僕に注いでくれた。ケンジの時計が動き出す。僕は追いついたのだ。ケンジに追いついた。だいぶ待たせてしまったけど、僕はケンジをまた追うよ。
 山頂は相変わらず広く、町を見渡せる。その端に小さな長方形の石が重く佇んでいる。僕はその前まで行き、思いっきりそれを蹴飛ばした。辺りに石の砕け散る音が響く。どこかで鳥の羽ばたく音も聞こえる。僕は自転車まで戻り、またそれにまたがった。
 今度は山頂から下る道へと向かい、勢いをつけて一気にペダルを踏込んだ。自転車はすぐに速度を上げ、体に心地の良い風を供給してくれる。気まぐれな五月雨は変わらず僕に太陽を与えてくれる。でもすぐに気まぐれな五月雨は降り出すだろう。強く、激しく僕を打ち続けるだろう。でも今だけは、ケンジに追いつく今だけは晴れ間がほしい。
 太陽の光が肌を照らし、失ったと思っていた汗を体から滲み出させた。こんな時になって僕は思った。春は過ぎ、暗澹たる五月雨の季節は終わろうとしている。もう間も無く暖かい太陽が燦燦と輝き始める。――もう夏なのだと。

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