【企画】覆面小説家になろう〜雨〜
No.08 Early summer rain

[1]次のページ

 五月雨の降りしきる山林の車道を、僕はただ自転車で進み続けていた。
緩やかに曲線を描きつつ伸びる傾斜のアスファルトへ、緑色の空から舞う雨とは別に、肌寒い風に揺れる木々からも、絶え間なく雫が落ちて染み込んでいく。
 それでも汗が止めどなく額から流れ落ち、水分は奪われ、ペダルを踏込む足は限界と言っていいほど硬直し始めていた。山の空気は水を多く含んでいるのに、などと愚痴を漏らしそうになる。
 仕方なく足の動きを止め、自転車の惰性にまかせて足を休める。自転車は傾斜を上りはするが、すぐに勢いを落とし、ギアは僕の運動を求め始めた。足を地面につけて休憩したいという誘惑に襲われる。また、自転車を百八十度反転させて、坂道を勢いのままに下ればどれほどすばらしいことかと考えてしまう。
 でもそれができない。親友のケンジはずっと先に行ってしまっている。僕が足を止めてしまえば、もうケンジには追いつくことが出来ないのだ。ケンジは山頂で僕を待っている。気のいいケンジの事だから確実だ。今年こそはと言う思いもある。
 毎年僕はこの梅雨時期、ケンジの待つ山頂に向かっては遅れてしまう。足を止めて、安易な休憩を取ってしまう。そんな自分が許せなかった。大学生にもなって、まだ僕は愚かな判断をしようとしていると。
 四年前にケンジがどれだけ本気であったのか、僕は理解できていなかったけど、同じ過ちは繰り返したくない。ケンジに先で待たせるのは今年で最後にしてやる。その思いだけが全てだった。
 僕は二本付けている腕時計を見て時間を確認した。まだ間に合う時間だった。同時に硬直した足をムリにでも動かし、自転車にエネルギーを送り続けた。気まぐれな五月雨は一段と激しくなり、視界さえ奪っていく。四年前もそうだった。視界の見えない車道。ケンジは常に僕の前にいた。



                       *




 高校三年、春とも夏とも言い難い時期であり、気がつけば制服を着る最後の年である。進路、就職、受験、色々なことに対して選択を迫られ、僕は完全に行き場を失いかけていた。何だか世界の仕組みのような物が見えてしまったような気がしてならなかったのだ。このままでは仕組みに組み込まれてしまうと。
 山岳に囲まれた閉鎖的な町。そこから想像できる限界のある先。もう、うんざりだった。だから唯一の親友である、ケンジの誘いに乗った。
「なあ、どこか行かないか」
 くだらない。実にくだらない話だ。だからこそ惹かれた。最初は遊びの誘いかと思ったが、詳しく聞くと町を抜け出して山を越えてみようとケンジは言ってきたのだ。
 僕らは塾の帰り道だった。午後十時を回り、ケンジも僕も、もしかしたらただお腹が空いていただけかもしれない。ジャンクフードでも喰えば済む話だった。あるいは暇だったからだ。ゲーセンにでも行けばよかった。
 だが、僕らは駅前に多く駐輪されている自転車から二台を選び、ただそれにまたがったのだ。背中に背負ったサックの中身は、これも駅前にあるコンビニエンスのゴミ箱に捨てた。参考書に筆記用具、テストの問題用紙にカンニングペーパー。どれも今の僕には酷く大切なもので、クソみたいにどうでもいい代物だ。
 無計画に何かをしたのは初めてで、文句無しに楽しかった。僕らは深夜に差し掛かった時間にも関わらず輝き続ける町を自転車で進んだ。
 こんな時間なのに人が大勢いる。深夜残業でついさっきまでパソコンのディスプレイを眺めていたのであろう、胡乱な目をしたサラリーマン。顔をこれでもかと言う位に赤面させた大学生の二人組み。この場所と時間に居ても当然という表情で念入りにメイクを施している女子高生達。
 思えばここにいる人々は一番の犠牲者なのかもしれない。世界の仕組みに精一杯ついて行こうとした結果がこれらの現状なのだ。仕組みに取り込まれるには、それなりの犠牲が付きものだということなのだろう。
 間違っているとは思わなかった。これが生きていくための手段なのだし、それを放棄すれば何も出来ない事も知っている。あるいは放棄したからこそ『死』を選ぶ人が大勢いるのかもしれない。仕組みとは『生』なのだ。僕は『死』よりも『生』の方がいい。辛くともたまにはいい事もある。
 そんな考えのせいか一瞬迷った。このまま自転車を降りて自宅へと帰り着き、また同じような日常を、仕組みにしたがって生きることが正しいのかと。
 でも僕は頭を振って考える事を放棄した。もしこのまま進めば何かが変わるかもしれない。町を通り過ぎ、人の気配が消える。
[1/3ページ]


[1]次のページ
 ◆次の次へ
 ◆最後へ

[0]目次に戻る
-小説家になろう-