覆面★あとがき




[6] No.03 「訪れる人」 Name:あんのーん Date:2008/07/01(火) 02:09
優しい雨の午後、老女の茶室を訪れたふたりの客人──
雨が上がるまでの、ひとときのお話です。

http://ncode.syosetu.com/n4975e/4.html


[23] あとがきと御礼と Name:あんのーん Date:2008/07/02(水) 00:01
まずはお読み下さった全ての方にお礼申し上げます。
丁寧な感想やレビューを、時間を割き、言葉を選んで
書いて下さった皆様、本当にありがとうございました。
ただ読んでくださった方も、お時間頂きありがとうございました。
普段なかなか他人様に自作を読んで頂く機会がなく
また感想や評価もいただくこともまれですので、
今回は本当に有意義かつ希有な経験をさせていただきました。

供述調書にも書きましたが、この作品は私らしい、まさに知人が読めば
3行で私が書いたと知れるようなシロモノでありました。
(といいつつ、実際に3行で当てられた時は一瞬ビビりましたが……
お名前を拝見し知人らしいと気づき、胸をなで下ろしてみたりして^^;)
とはいえ推理のよすがとなるテキストが他に一編しかなく、
探偵諸氏は大変だったのではと思います。
それにも拘わらず多くの方に私の名を挙げて頂いたこと、とても嬉しかったです。
モチロンその他の方の名を挙げてらした皆様も……
私のような者に間違われた方にはお気の毒でしたが、
本人はニヤニヤしつつ楽しませていただきましたv

作品に関しては、作品が完成し公開されてのちは
書き手ではなく「読み手のモノ」だと考えています。
どのような感想を持たれても、それは全て読み手ご自身にとって
「正しい」ものでしょう。
読書・鑑賞とは、それぞれの心の鏡に作品を映すことだと思います。
映す作品はひとつであっても、それぞれの鏡の歪みや曇り、大きさは
さまざまであり、そこに結ばれた像(感想)もまたさまざまであるはずです。
作品について後からくだくだしく述べるのは、読み手の方の心に結ばれた像を
乱す行為かも知れません。
ですが……
「わかりにくい」「違和感がある」と感じられた方も少なくなかったように
お見受けしましたので、せっかくこうした場をいただいたことですし
先に書いたことと矛盾しますが、次項にて当方の意図など
書かせていただこうかと思います。
そんなのは邪道で興ざめだよ不要だよ、という方は、どうぞ無視してやって下さい^^;

最後にもう一度、この企画に参加された全ての皆様、ありがとうございました。
そしてお世話頂いた1号2号両氏の尽力と細やかなお心遣いにも、感謝申し上げます。


[31] ストーリーについて Name:あんのーん Date:2008/07/02(水) 01:04
最初にお詫びいたします;
フェイク仕掛けました。タイトルとあらすじに……
「わかりにくかった」「違和感あった」という方は、多分このフェイクに
のっけから引っかかってしまったのではないでしょうか。
タイトルは「訪れる≪人≫」であり、あらすじにも「≪客人≫」」と
ありますが、訪れたのは「人」ではなく「人の≪思い≫」です。
和津の茶会を訪れたふたりとは、いずれも人ではなく「思い」なのです。

「若い男」がこの世の者ではないことは皆様気づかれたと思います。
それは男の恋人(和津)に対する「思い」であり、
その「思い」に「若い男」の姿を与えたのは和津の「心」です。
「思い」とは思う側(者)のものではなく、思われる側のもの、つまり
受け取る側の人のものだと私は考えています。
(たとえばどんなに誰かを思っていても、それが受け入れられなければ
その思いをその人に届けることは出来ません)
男は若いまま儚くなり、和津は男の往時の姿しか知りません。
そのため男の「思い」は若い男の姿となって、和津の前へ現れるのです。
智香の「思い」が少女の姿形を伴って現れるのも同じ理由です。
多くの方が戸惑ったと思われる、少女の姿に似つかわぬ
「結婚する」という報告ですが、それを伝えたかった智香の「思い」は
今現在のもの、すなわち成人した智香のものです。
ただ、和津は智香が幼いうちに世を去り、彼女の成長した姿を知りません。
ですから大人の智香の「思い」は、和津の前へは(和津の知っている)
少女の姿となってやって来るのです。
そう考えていただければ、違和感も多少は薄らぐのではないでしょうか……

またこのお話は全て現在の時間上にあるものとして、私は書きました。
あらすじの「ひとときのお話」という部分はフェイクではなく真実です^^;
冒頭でもてなしの用意をしたのは智香であり、彼女が迎えたかったのは
祖母の和津です。
和津(の思い)はやって来て(そう、「訪れる人」とは和津のことでもあるのです)
和津を訪れる人(の思い)をもてなすために茶会を催します。
これは10年以上前、智香が幼かったときに体験した茶会の
再現だったかも知れません。
この茶会は、和津にとってとても大切なものであったと思われます。
過去と現在がシンクロしたとき奇跡が起こり、思いは時空を越えるのです──

……そこのアナタ、「なんちゅー安易なご都合主義……」と呆れないで下さい……^^;
彼岸と此方では色々と事情が違うのです^^; きっと。

この世に生きる私達は常に現在から過去へと、不可逆に過ぎ去っていく時間の中に
ありますが、彼方の住人にとっては過去も未来も、刹那も永劫も同義でありましょう。
そうであればこんな奇跡が起こっても、何の不思議もないようにも思えます。
長くなってしまいました。申し訳アリマセン;
以上は私の物語の意図であり、それ以上のものではありません。
先にも申し上げた通り、感想や感慨といったものもまた、あくまで受け止める側の方のものです。
どのように受け止められた方も、それが「正しい」思いなのだと思います。


[80] レビュー・感想を頂いた方へ Name:あんのーん Date:2008/07/04(金) 23:18
「好きだ」「良かった」とおっしゃって下さった方、ありがとうございました。
「ダメだ」「イマイチ」と思われた方も、読んで下さりありがとうございました。
いくつかご質問(?)等もいただいたので、いまさらですが
せっかくなのでお答えしておこうかなと^^;

 >孫娘のシーンがないほうが、作風のしっとりとした感じを保ててよかった気もする。

実はまさに「夢」と「現」のようにがらっと違った空気感を出したい、と思っていたので
がっかりされた方には申し訳ないのですが、個人的にはこの感想はとても嬉しかったですw
しっとりした作風の方が良い、と思っていただいた方には、また別の場で
そうした作品を読んで頂けたら……と思っています。

 >孫娘は、祖母を訪れた男の人の遺伝子が入ってる孫なのだろうか。

 >幼女は、彼に会う資格があったんじゃないかな?

最初私も智香は和津と男の孫かな……と思っていたのですが、
そうでなくてもかまわないな、と書いているうちに思いました。
そうであれば、多分和津と男は「清らかな関係」のままであったかも知れませんね。
血縁があろうがなかろうが、智香が愛しい人(和津)の大切な存在なら
男にとってもやはり彼女は大切な人であることしょう。
そして智香もまた、いつか男とも会えるでしょう。
祖母と再会する時に……

 >季節は初夏でしょうか?

初夏です(^-^
やはり雨といえば6月、花嫁もまた6月でしょう。
そして6月は私の生まれた月でもありますv(←それは誰も聞いてない;


最後に………

 「ほとけは常にいませども うつつならぬぞあはれなる」

とても美しい言葉をありがとうございました。
拙い一文にこのような言葉をいただき、とてももったいなく、
ありがたく思います。




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