【企画】覆面小説家になろう〜雨〜(6/19)


【企画】覆面小説家になろう〜雨〜
作:覆面作者



No.05 Under the Sun


はじまりは、梅雨の終わりの雨の日だった。

 夏休みまであと一週間。帰りのホームルームで先生が、夏休み町内対抗子どもソフトボール大会の話をしていた。中学生となるとそういったものにも参加しなくなるが、積極的に参加するように、というようなことを言っていた。
 友達が眉を寄せて「かったるいよねー、かける」と私に囁いてきたので、つられて一緒に笑ってみた。
 そんな話を最後に、三者面談でいつもより早く学校が終わった昼下がり。今日に限って一人きりの帰り道の途中、急に雨が降り始め、それはすぐに大雨となってしまった。
 学校から家まで歩いて四十分。このまま帰ろうかどうしようか悩んだが、まだ十分ほどしか来ていない。私はとりあえず目の前にあった神社の鳥居をくぐると、奥にある社の軒下に飛び込んだ。
 私が屋根の下に入った直後、雨は益々粒を大きくし、ばたばたと大きな音を立てて、屋根や地面に穴が開きそうなほど叩きつけてきた。
 強引に帰らなくて正解だった、と私がほっとした――その時。雨の音に足音がかき消されて気付かなかったが、突然眼の前に人影が現われたので、私は思わず声を上げそうになった。
 軒下に駆け込んできたのは、Tシャツにジーンズ姿の男の人だった。年齢は二十代といったところ。そして彼もまた、傘も持たずに濡れていた。同じく雨やどりに来たのだろうか。人がいるとは思わなかったのか、私を見てやや驚いた表情をしていた。
 しかし雨は身動きがとれないほど酷く、結局その男の人も「雨、酷いな」と私から目を反らしながら言うと、同じく軒下に立った。
 こうして私は、知らない男の人と雨やどりをすることになってしまった。

 これで梅雨も終わりだからと、雨は自棄を起こしたように叩きつける。昼間だと言うのに辺りは夕方のように薄暗くなり、神社には誰も居ない。時折、鳥居の向こうの道路を車がざっと通り過ぎていく。
 私は段々、恐くなってきた。
 杉の木に囲まれた、薄暗く人気の無い神社。春頃には不審者も通学路に現われた。雨で濡れた白いセーラー服も、透けてしまっていないかと心配になる。
 ――このお兄さんは変な人、じゃないよね……?
 今の時代、この田舎の町でも何が起こるか分からない。怪しいと思ったら声を掛けない、掛けられても答えない、逃げ出す事と母親に教えられている。隣の背の高い男の人をちらりと見上げ、密かに警戒しながら私はこれからどうしようか悩んでいた。
 ――この雨の中走って帰ろうか。でも変な人じゃなかったら失礼かもしれないし……。
 雨は弱くなる気配がない。彼がいっそ居なくなってくれないかと思ったものの、平日の昼間に私服でいるこの謎の男性は、そこを動きはしなかった。

 私は携帯電話を取り出し、仕事中の母親に電話を掛けた。祈るように呼び出し音を聞いていると、意外にあっさりと繋がった。
 神社に居ることを伝えると、丁度近くに居るので迎えに行く、と言ってくれた。私は胸を撫で下ろし、わざと彼に聞こえるように母親の言葉を繰り返す。
 しかし安心して電話を切った私に、突然その男性は話し掛けてきたのであった。
「家の人、来るの?」
「え? あ? はいっ!」
 急に声を掛けられて、私はそのまま何か変なことをされてしまうのではないかと、たじろいだ。思わずびくんと身体を揺らし少し後ずさると、ひっくり返った声で返事をする。
 しかしそんな風に怯えた私に、逆に彼の方が驚いた表情をした。そして、深くため息をついた。
「――ごめん。あやしい者じゃない」
 失礼な想像をしていたことを知られてしまった、と私が少し焦っていると、今度は彼の携帯電話が着信音を鳴らした。
「はい。――あ、八幡神社のところで、ちょっと中学生見かけて、――いえ、ただの雨やどりみたいです。保護者の方来るそうなんで。……そうですね、保護者さんが来次第、役場に顔出します、はい」
 私は彼が電話で話す様を目を瞬かせて見ていたが、やがて彼は電話を切ると、無愛想な表情でまた私を見下ろした。
「恐がらせて、ごめん。雨やどりでいきなり自己紹介もおかしいと思って……言わなくて悪かったが、役場の防犯係の職員の者だ。今日は代休だったんだが不審者情報が入って、誤報の可能性が高かったけれど、近所だしお前も暇ならパトロールしてこいと言われて。――それで出てきたらこの雨で、君が此処に一人で居た」
 急には信じられなかったが、その話が本当だとしたらこの男性は悪い人とは、逆の立場の人になる。つまり雨やどりで偶然出会った私を心配して、傍に居てくれた――らしいのだ。
 確かに唐突に自己紹介されてもおかしい(言われても疑っただろう)し、誤解して悪かったかな、と素直に思うが、それでもやはり嘘かもしれないし……、と私が思った時、車のクラクションが聞こえてきた。
 いつの間にか弱まってきた雨の中、鳥居の前に見覚えのある赤い車が止まり、中で母親が手を振っていた。
「お母さんだ」
 思わずほっとした声になる。しかし、今度は母親にこの人が不審者だと思われてしまわないかと私はふと心配になったが、彼は意外にも母親と会釈し合っていた。
 私は不思議に思いながらも彼にぺこりと頭を下げて、車へと走った。
「陽君と一緒だったんだ」
 車に乗るなり母親はそう言った。

 あの青年は、「津木さんのところの陽君」なのだと言う。なんと彼は同じ町内に住んでおり、家が離れているので交流は殆どないものの、両親は赤ちゃんの頃から彼を知っているらしい。彼は早くに両親を亡くし、今は育ててもらった祖父の面倒を看ながら町役場で働く、まだ独身の二十五歳――だそうである。
 近所の人って知っていれば、あんなに怯えなかったのに……と、私は勘違いした自分を恥ずかしく思うが、知っている人や近所の人でも何をされるか分からない時代だから、仕方なかったとも思う。
 未だに男の子に間違えられる髪の短い私でも、女の子なんだから、と母親は毎日のように口うるさく言うし、あんな場所に駆け込んだ私も無防備であったと今更ながら思う。
 ――私が悪いわけじゃない。でも「津木さん」も悪くない。
 雨足は弱まったものの、まだしつこく降っていた。しとしとと鳴る音が、部屋で一人で考える私の心をやけに、はやらせる。私を心配してくれたあの男の人のことが、彼に悪いことをしたと思っているからか、何故か頭から離れなかった。

 次の日の朝。眼が覚めた私は、天気を確認しようとカーテンを開けた。
 雨は止んだものの、まだ空は曇っている。窓の下をふと見ると、なんと土曜日の早朝だと言うのに、昨日の男の人が居た。私が驚いて覗き込むと、軍手をはめた彼は、黙々とゴミを拾っていた。
 朝食の時に父親に尋ねてみると、今朝は町内のクリーン活動の日だったらしい。各家庭から一人出なくてはいけないので、父親も参加したと言う。
 しかしそれにしても、津木さんはまだおじさんじゃないのに、よくそんな面倒くさいことに参加するなあと、学校で部活をしている間、私はそんな捻くれたことを考えていた。

 部活から帰ると回覧板に挟まっていたチラシを母親に渡され、それを持って二階へと上がった。
 田舎の町は頻繁に何か行事がある。今度のチラシの内容は、昨日先生も話題にしていた、夏休み町内対抗子どもソフトボール大会のお知らせであった。
 男女問わず、中学生も小学生の指導や選手として出場を、と書かれている。友達が「かったるいねー」と言ったことを思い出し、私もそれに合わせなきゃいけないと思ったが、あの彼がまた何か関わっているのではないか、ともふと思った。
 そしてチラシをよく見ると――、案の定、会長名の下に監督として、「津木陽介」と彼の名前が書かれていた。

 何故か私は気になって、チラシに書いてあった練習日に地区のグラウンドへと行ってみた。
 雨は止み、水溜りがまだ残っているグラウンドから続く空は、青く、雲ひとつなかった。
 十人ほどの小学生が、グラウンドを走っている。男の人の低い大声が聞こえ、思わず首を竦めてそちらを見ると、ジャージ姿の彼がグラウンドの端に立っていた。
 私の足が水気を含んだ砂を踏む音に気付き、彼は私を振り返った。
「――この前は、ごめんなさい」
 話し掛ける言葉が思いつかず私が第一声に謝ると、彼はまた驚いたようだったが、無愛想な顔をふっと緩めた。だが、それは少し寂しそうにも見えた。
「別に。俺も小野さんの所の子だって知らなかったし。今の時代、仕方ないだろう。信じていても、子供を裏切る大人がいるんだから」
 色々な嫌な事件を思い出し、私は頷いた。彼はそう言って私から目を反らすと、グラウンドを走る小学生達の方を見た。今の複雑な笑顔と子供達を見ている視線から、私は数日前から疑問に思っていたことを、口にせずにはいられなかった。
「この前のパトロールとか、こういうコーチとか、地域のこととか……、津木さんは、どうしてこういう事をよくしているの?」
 予想もしていなかったことを尋ねられたのか、彼はまじまじと私を見下ろしてきた。そして私の前に落ちていたボールに気付くと、それを拾い上げつつぼそりと答えた。
「……子供の頃から、この町には世話になっているからな。じいさんだって今、周りの人にすごく世話になっている。だから何か返したいってのもあるし、あと監督引き受けたのは――、子供の顔も覚えるためかな。それこそ、こんな時代だし」
 学校で地域の繋がりが薄くなっているという話をよく先生に聞かされるが、本当にそれを考えている人が現実に、しかもおじさんではなく若い男の人でいるとは思わなかった私は、思わず彼に反論してしまった。それは「格好悪いこと」だと私達は思っているからだ。
「でも、ひとりでこんなことしても、何も変わらないじゃん。それでも、悪い人はいるよ?」
 彼は手の中のボールを見ながら、少し何か考えていたが、やがて口を開いた。
「そうだな。確かに俺一人、何かしても何も世の中変わらない。――でもあの時みたいな、雨やどりの時に見たような顔は、もう見たくない、と思う」
 静かに答える彼の言葉に、私はどきりとした。それはあの雨の日に、私が彼に襲われるのではないかと怯えたことを指しているのだろう。
「あんな顔、子供にはさせたくない。俺に親が居なくても、周りに育ててもらったように、子供には笑っていて欲しいと思う。こんな事しても、何も変わらないけれど。こんな事しか――出来ないけれど」
 津木さんはため息をついてそう言うと、その白球を青い空に高く真っ直ぐに投げた。

 砂を零して、太陽の光の中に舞い上がるそれが、私にはやけに眩しく映った。
 そしてその白球は、戻ってくると大きな手にぱしんと音を立てて受け止められた。
 その時、私の心の中でも何かが大きな音を立てた。
 ――自分一人で頑張っても、何も変わらないから。その姿を、笑われるから。そう思って恥ずかしいと避けてきたことが、私の生きてきた十四年間にもたくさんあった。
 そんな恥ずかしいことを、一生懸命やっている人がいる。
 なんて馬鹿げているのだろうか。なのにどうして、じとじとした雨空みたいな私の心と違って、こんな晴れた青空がよく似合うように見えるんだろうか。

 彼はボールを持って私を振り返った。目と目が合い、そのボールが何気なく私に渡された。
 ――その時、私は何か大切なものを受け取った気がした。

 格好悪いと思っていた筈なのに、どうしてこんなに気になるんだろうか。

 とても恥ずかしかったが、私はボールを握り締めながら俯き、ぽつりと呟いた。
「私も……ソフトボール、出ようかな……」
 彼はまた驚いた顔をして、私を見た。だけど私自身が一番驚いていた。
 どうしてだか私にはない、そのお日様みたいな彼の持つ何かが、気になって仕方がなかった。

 この日、梅雨明け宣言がされた夏の青空が、背の高い彼の上に広がっていた。




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